自己紹介

育った場所

 日本本土最西端の町、小佐々町。

1988年9月。この地に生を受けました。

 体を動かすことが大好きで、1日中スポーツをしたり、釣りをしたり、とにかくじっとしているのが苦手でした。

野球との出会い

 小学校3年生の時に、親友のI君に誘われ軟式野球をはじめました。

 監督コーチが漁協組合の方で、 野球経験はゼロ。 あんまり知識は備わっていない方々でしたが(失礼な)、 情熱で部員を引っ張り、私たちの代では何と県大会ベスト4に入ることができました。

 お世辞にも強いチームだとは言えませんでしたが、強運も重なって、 最高の結果を出すことができたと思っています。(I君、監督、コーチに感謝)

中学時代

 この頃から プロ野球選手になりたいという思いが強くなってきました。 努力して成長していく過程が好きだったし、一番の理由は純粋に『野球が好き』だったから。

 ただ、上手くなりたい気持ちとは裏腹に、 がむしゃらな練習は成長期の私の身体に牙をむきました。

度重なる故障

 中学1年生の時に腰椎分離症を発症。 4ヶ月間野球ができませんでした。

 医者からは、『もうスポーツはできないかもしれないね』という言葉をかけられ、 半泣きになったのを今でも覚えています。

 結局、腰椎分離症は完全に完治したものの、 その後はオスグッドシュラッター病、肩痛、肘痛、外反母趾、度重なる腰痛に苦しみ、 満足に野球をやることはできませんでした。

 しかし、 チームとしては県大会2度優勝という 素晴らしい成績を収めました。 きっと自主性を尊重していたコーチの方針のおかげだったと思います。

高校進学

 県内でも有名な強豪校に進学。入学して間もない、春の九州大会で初登板。 結果を残し、最高のスタートを切ることができました。

その後待ち受けていたのは・・・

1年生(5月) 両スネ(頸骨)疲労骨折

2年生(5月) 肋骨疲労骨折

   (10月) 肋骨疲労骨折(5月と同じ部位)

3年生(3月) 肩痛

   その他、捻挫や腰痛は当たり前。

 こんな、散々な3年間でした。 チーム自体は在籍間、 県大会優勝、 県大会準優勝2回。という素晴らしい成績を収めましたが、個人的には惨めな3年間となりました。

高校時代に感じたこと

 誰よりも 、プロ野球選手になるための強い気持ち、そして努力を継続できたと自信を持って言えます。

 ただ、気持ちと努力だけでは何も解決できませんでした。

 人間としての未熟さ。知識不足によるケガ。何をやってもうまくいかず、本気で命をたつことまで考えた高校3年間でした。

今思うこと

 正直なところ、                                      『自分のことを理解できていなかった』                        の一言につきます。     

 中学3年生の冬場からは、トレーニングや栄養の本を読みあさり、高校1年生時の九州大会で結果を残すことができました。それ以降は、ハードな練習、あり得ない食事の量、人間関係に悩み一気に力を失っていきました。

 『自分のことを理解できていなかった』

これがどんなことかと言うと、今の疲労がどれくらいのものなのか?どこで力を入れて、どこで力を抜けばいいのか?何をやれば体は回復して、何をしたらケガをするのか?全く理解できていませんでした。

だからこそ、今できること

 私と同じような思いをみなさんにはしてほしくない。それがシンプルに導かれた私の気持ちです。今は、大抵の情報は手に入る時代です。私の情報発信をきっかけに、1人でも多くの方が夢を叶えてくれることを願います。

 発信の内容ですが、パフォーマンス向上のためにはかかすことのできない、トレーニング方法、生活習慣を軸に気づいたことを発信していきたいと思います。質問や疑問があれば気軽に連絡してくださいね。

 それでは、今後の情報発信をお楽しみに!

https://youtu.be/CX7HA5nqw8U

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